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突然ですが『何でも話せる友人』っていますか?

私にはいません。

何でも話せる人はいるのですが、その人は友人ではなくて、しかもお金を払うと話を聞いてくれる人です。

自分の胸の内をプロ以外に話すのはもう絶対止めよう、と思ったのは、昔、日本である人に言われたこんな言葉です。

「以前、あなたの下らない話に何時間も付き合わされた」

「それなのに、もう解決した、だなんて、私の人の良さにつけ込まれて良いように利用された」

お互い楽しんでいる関係だと思っていたので、こう言われて本当に驚いて、しばらくの間ショックでしたね。

意気投合という名の勘違い

その方とは、そもそもそれほど親しいわけではなかったのですが、『意気投合』という名の、『前から知っていた気がする!』という勘違いで、『何もかも打ち明けちゃいましょう!』ということになり、その後の失態につながりました。

ショックでしたけど、私の下らない悩みを聞かせて時間を奪ってしまったのは事実ですので、同じことは繰り返さない、と誓って、その後はお金を払う以外の場では、自分の悩みをぶっちゃけないことにしてます。

お酒を飲んで愚痴るのは有り得ない

ある人から聞いて、面白いなと思ったのが

キリスト教において神は唯一無であり、『懺悔』では神と一対一で自分の罪を打ち明ける

一方で仏教の神は一つでないため、一対一という感覚がなく、罪を皆で分かち合う

これにどこまで根拠があるのかわかりませんが、確かにアメリカ人と日本人には、そういった種の違いがある気がします。

悩みを人に打ち明けたい時というのは、特にアドバイスが欲しいわけではなくて、単に吐き出したいだけ...ということ多いと思います。

聞かされるほうは、一度目ならまだしも、二度三度となるとうんざりです。

親しい相手であれば、口に出してはっきり言えない分、余計ストレスになるかもしれません。

日本だと、『お酒を飲んで腹割って何もかも見せあって初めて本当の付き合いだ』的な感覚を好む人も多いですけど、自分にとっても相手にとっても、酔ってダラダラ愚痴るほど時間とエネルギーの無駄はないと思います。

自分でさえ受け止められない心のダークな部分を人に受け止めてもらおうなんて、都合が良すぎるのかなって最近は思います。

それに、話した方はすっきりして忘れてしまったことでも、聞かされた方はずっと覚えていて、ことあるごとにジャッジしているものです。

そう考えたら恐ろしくて、とても『ただ』で聞いてもらおう...なんて思えません。

セラピー頼み

運動して、瞑想して、それでもだめならセラピーに頼る。

精神が回復したら、笑顔で友人に会いにいく。


なんでもかんでも友人に話してトラブルを撒き散らしているより、その方がよほど有効な方法だということに、色々な失敗を経てようやく学びました。


ニューヨーカーのセラピー事情、こちらのコラムでも紹介しましたので、ぜひ読んでみてください。

カフェグローブ連載・NYで生きる
#3『悩みはお金を払って吐き出す

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